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近代工業化が進む以前のフランスの伝統美を備えるボザールの椅子

近代工業化が進む以前のフランスの伝統美を備えるボザールの椅子

 

17世紀パリに設立され、モネ、ドガ、ドラクロワ、ルノワール、スーラーなど画家のみならずジャン・ヌーベルなどの建築家も多く輩出したフランスの高等美術学校École des Beaux-Arts(エコール・デ・ボザール)。

 

当Eストアではこの学校で実際に使われていたスツールを過去に5脚のみフランス本国での仕入れに成功しておりましたが、現在販売しているものは残すところ1脚のみとなりました。本日はフランスの伝統的な美学を備える本品のご紹介にあたり、ボザールの歴史や世界観についても触れさせて頂きます。

 

パリの中心部、セーヌ川をはさんで対岸にルーブル宮殿のあるマルケ河岸のにエコール・デ・ボザールの校舎があります。この建物には、19世紀のフランス芸術界を支えた多くの芸術家が集まり、刻まれた歴史がありました。

 

絵画、彫刻、建築の三分野を包括したボザール の創立が決定されたのは1816年のことでした。王政復古の時代を迎えたフランスでは、革命依頼の様々な組織や機関が統廃合されていました。そんな時代の中で、それまでは絵画と彫刻と別々に存在していた2つのアカデミーを統合し、新たな学校を築き芸術家の養成に努めることを目標にボザール設立の国王命令が発布されました。

 

この3年後の1819年から1968年まで150年にわたって活動したボザール 、建築セクションではアトリエ制(一種の師弟制)が敷かれ、当時のフランスの建築家の多くがこの学校から生み出されることになり、建築家養成機関としても社会的な貢献を果たしています。

 

 

大ボザールと呼ぶべき校舎はフランスの建築家フェリックス・デュバンによって設計された大建築です。近代建築運動が起こるまでの間、19世紀から20世紀初頭にかけてボザールは絶対的な存在でした。ボザール出身の建築家はフランス国内で絶大なる賞賛を浴びてきました。古典主義を奉じ、古い時代の建築を信仰し、世界中から優秀な学生、そして建築家を集め不動の地位を誇っていました。

 


芸術彫刻、音楽、建築の3つのアカデミーが統合された王立芸術アカデミーであった「ボザール」はフランス語で美術を意味していますが、建築を美術の一分野であるという世界観を築いていました。

 

中世においては、今用いられている意味での「芸術家」という概念や意識はまだ存在せず、画家や建築家の社会的な地位は極めて低いものだっと知られています。そんな中で、アルベルティやダヴィンチは、それまで地位の低いものと見られてきた絵画や彫刻や建築を「天文学」「数学」などと同じ地位(精神的な仕事の価値)にまで引き上げようという努力をしてきたと言っても過言ではありません。 

 

15世紀以来イタリアの、特にフィレンツェの芸術家が強く主張してきたことでもありますが、芸術家が持つ業は職人とは異なるものだという意識が強まりました。初期ルネサンスの建築家アルベルティは自らの絵画論において「画家というのは数学者と同じような知的素養を必要とする」と説いていましたし、ダヴィンチはまた「絵画とは精神の業」と主張していました。 

 

ボザールはこのようなイタリアの大偉人たちの考えを受け継ぎ、さらにそれを推し進め、芸術家に対して相応しい地位を与える価値観の集大成を果たした学校でした。

 

建築も絵画も彫刻を学問と同格に引き上げるためにそれぞの分野は理論化され、習得されるようなものが築いたボザールの学問システムは欧州のアカデミーの原型となり、この点においてもボーザルは歴史的に重要な意味を持っています。 



当Eストアに入荷した椅子はこの歴史的美術学校であったボザールのために設計され、当時学生がデッサンをする授業で使われていたとされるモデルです。



腰かけるための機能に加え、当時授業で制作されたデッサンを壁に立てかけられるよう、座面に隙間が設けられています。この隙間は持ち運びの際に手を入れやすい構造になっており、無銘ながらも秀逸な設計者の思考を体感頂ける作品となっています。



ギュスターヴ・エッフェルによる設計のエッフェル塔が生まれた時代のエッセンスを感じられますが、特定のデザイナー名の関与は認められず、アノニマスデザインのフランスのアンティークプロダクトとして既に神格化され市場ではその姿を消しつつあります。当店でも本品が最後の1脚となりました。

 

探されていた方は是非当Eストアよりご覧ください。

 

Early of 1900’s Antique French Stool for École des Beaux-Arts